初めまして「自殺未遂当事者の会-芯-」会長の土屋さつきと申します。私には大好きな本当に大好きな親友がいました。仲たがい・喧嘩・すれ違いもあって、実際あまり長くは一緒にはいれませんでしたけれど、会えばいっつも楽しく分かり合えた親友でした。私も彼女も心の病を持っていたので、いつも時間は自由でした。その自由な時間には、料理教室やパステル画教室などに通ったりして過ごしていました。
その親友が、2015年に大きな心の病に侵されました。入院もやむなくされました。入院中2回、お見舞いに行きました。車で30分かけて行ったのに、面会時間がたった1時間で帰されたことが気にくわなくて、2回しか行きませんでした。今思うと、毎日でも行ってあげればよかったと悔やむばかりです。
そんな彼女が、一時退院した時のこと。最寄りの駅から、飛び込み自殺をしました。即死です。
…あの時、もっとお見舞いに行けばよかった。
…あの時、サスペンスドラマを貸さなければよかった。
…あの時、一緒に。。。
なんてあとのまつりですよね。
お葬式の時、彼女のお母さんが私に言った「もう顔は無いんじゃないかしら」という言葉と同時に、彼女と同じ泣き方をしていた姿が今でも鮮明に焼き付いています。
後日、彼女が出演していたネットテレビの番組を彼女のお母さんに見せてあげるため、彼女の家を訪ねました。DVDを再生して間もなく、その様子を見ていたおじさん(=彼女のお父さん)が、色々思い出してしまい泪が止まらなくなった姿を見て、私はすぐさま再生停止しました。そのおじさんの泪は私は一生忘れないと思います。そしていつかおじさんに、DVDを最初から最後まで見せられる日が来たらいいなと思います。
「自殺未遂当事者の会-芯-」設立には、彼女のおじさんとおばさんにとって、少しでも「つよい」「光」になってもらえたらいいなという私の想いが込められています。おじさんとおばさんのことを思うだけで、彼女が生きていたこと、彼女がまだ生きているんだって思えるからです。
そういう気持ちとか、そういう場所を残しておきたくて、おじさんとおじさんに「わたしはここにいるよ、ここで彼女のことを思って今日も過ごしているよ」ということを伝えくて、この場所を作りました。
私は、「人のために何かをする」のが嫌いです。
だから、ボランティアという言葉が大嫌いです。
私は、「自分のために何かをしたい」のです。
そう考えた時に、自身の自殺未遂体験談の講話や当事者しか分からないことを伝える事や、生かされてしまった使命感など、何か自分にできることがまだ何かあるのではないかと考えました。
キーワードは「芯」です。
自分のために活動していく中で揺るぎない屋久島の木みたいなのを心に宿し、自分のために生きていく。
これが私の生き方です。
この「芯」があれば、どんな自殺未遂を起こしても立ち直れると思います。
一番は、「誰かのためじゃなく、自分のため」です。
自分を大事に。まずはそこから始まるんだと思います。
私は、自殺がダメだとかいけないとかはいうつもりはありません。
かといって自殺を助長するつもりもありません。
ただ、「死にたくなる気持ちってみんなどんな時かな?」「こういう時どうしてるのかな?」って色々当事者じゃないと分からないことがたくさんあると思うんです。何かそこをもっとオープンにみんなで語り合えたらいいなって思います。
以前、友達から「未遂者の集まりって無いの?あれば入りたい」と言われたことがあります。Googleで検索してみても、自殺未遂者による自殺未遂者のための自助グループって全くヒットしないんです。医療従事者やソーシャルワーカーによる自殺未遂者のための回復支援グループならいくつかヒットしましたが…。
どうぞ、入会して下さい。
ところで私は、手首の傷を皆さんどのように隠してるのかが気になります。
自殺未遂当事者の会-芯-
会長 土屋さつき